しかし、娘はことわりましてな。嫁ぎ先のことを考えたんでしょう。話しは長く続きましたんやが、嫁ぎ先の家族が許してくれたなら供養するということになりました。それから間もなく、娘は嫁いで義母に小野家の供養のことを話しましたんやが、心配どおり。許してはくれませんでした。
次郎左衛門は何度も何度もたのみました。すると、義母は彼の先祖を思う気持ちに心をうたれ、とうとう許しましたんや。
それから、何年もの間、娘は一生懸命供養しましたんやが、年をとっていくにつれ、今までのようにできなくなってな。そこで、娘は先祖の墓のある西方寺の池の中に、永く供養になるよう観音様をたてることにしました。今でも、池の中に観音様は残っておりますわ。
話 稲垣美子さん(明治四十一年生まれ)
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