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平尾用水路(平尾)



 昔、平尾は広い原野でしてな。それを村の人達が開拓して田畑にしましたんやわ。ところが、土地がもともと高いのでな。毎年というてええくらい干ばつの被害を受けましたんやわ。平尾村の地主やった市橋武助さんは、村の人の苦しみを見かねて上流にある比奈知村の地主の大道寺与治衛さんに平尾まで水路をつける相談をしましたんや。すると、
「それはええ考えや。名張川上流の比奈知から水路をつけて平尾村が助かるんやったら喜んで協力しますわ。」
与治衛さんはこう言うて約束しましたんやわ。武助さんらは早速上野の藩に申し入れましてな、嘉永六年(一八五三)に許可をとりつけ、翌年の春に工事にかかりましたんやわ。山を切って、岩を割り、堤を築いたりしましてな。場所によっては、ずい道にして、十八年もかけてやっと完成しましてな。それにかかった費用は村の人らも出したのやけど、ほとんど市橋さんと大道寺さんの二人が私財を投じましたんや。そのおかげで平尾地区だけでなしに、夏見や蔵持のまわりの地区の田畑にも水を引くことができるようになりました。それ以来干ばつに悩まされることがなくなりましてな、村の人はそれはたいへんな喜びようでしたんやわ。村人は、平尾用水路に功徳のあった人らを永遠にたたえるために、平尾に高さ四・六メートルの平尾渠水碑をたて、今も十二月十六日には年当番三人が世話をして区内の農家戸主をもてなしますのやわ。
話 市橋省吾さん(昭和五年生まれ)

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