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愛宕の辻(薦生)



 薦生の武田医院の前は、火事よけの神をまつる愛宕神社があって、愛宕の辻と呼ばれとるんじゃ。辻の東端に「右なばり、左いせ」と刻まれた石道標が残っとって葛尾方面からくる人は、道がようわかって喜んどった。右へ行くと名張街道、左へ行くと伊勢街道。伊勢参りする人がこの辻を通とった。伊勢へ行くものはな、薦生の渡し舟で田原っちゅうところへ渡って新田を抜けて行ったでな。辻に茶店があってな。じいちゃんとばあちゃんがお茶を出し、だんごを売っとったそうな。せやけどだんごはあまりうまなかったんやろか「薦生の木戸岩 馬でも越すが タケダだんごは のど越さぬ」と歌われたんやて。
話・武田昌一さん(大正八年生まれ)
武田優行さん(昭和三年生まれ)

 愛宕の辻は、伊賀と大和を結ぶ要所でもありました。伊賀藤堂藩と大和郡山(柳沢)藩の藩札交換所がここにありました。また、藩の年貢米を貯蔵していた「御蔵」もあった所です。元禄年間(一六八八〜一七〇四年)名張の黒田など十三カ村と大和・山辺の岩屋など三カ村と、茶臼山の北西に連なる青葉山の所有をめぐっての山争いが生じました。伊賀側の役人や庄屋たちの関係者が大和に近い所が便利ということで、この辻の前の武田屋敷に集まって、策を練ったのです。このとき、大和側のスパイが屋敷の床の下に潜んでいて、盗み聞きされてしまったため、情報が大和側に全部流れていたのです。
 その結果、裏をかかれた伊賀側が大和側に敗れてしまったと伝えられています。
 また、この辻で市場が設けられ、大和と伊賀の人々が物を持ち寄って交換をしたといわれ、今もその市の跡に建っている家の姓は「市場」といいます。


●愛宕神社2008/3/17現在。携帯で撮影。


@愛宕神社/全景


A愛宕神社/
“阿多古神社”の石碑。階段左側


B愛宕神社/拝殿


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