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金のウロコの大蛇(安部田)



 鹿高の唐懸というところは、今の道路とちごて大変狭く、危険やった。そいでな、明治十年、柏原の「井上文内」がたのまれて、道路を直すことになったんやわ。近郷の十八の村から人夫を集めて夏の暑いさかりに突貫工事を続けておったけど、岩盤ばかりで思うように工事が進まんかった。
 特にな、「牛の鼻」、みんなが「獅子舞岩」と呼んどる大岩を打ち割ることは、人間の力では、とうていできまいと思うたので火薬をつこうてみることになったんや。けど、どうしたわけかその時に爆発せんで、人夫の一人が縄で岩づたいに降りていって発火口をのぞき込んだ瞬間、ものすごい音とともに岩が吹っ飛んでしまい、かわいそうに、人夫は死んでしもたんやわ。
 そんでも、岩を砕かんわけにはいかん。この事故が起きてからも爆薬を使こうて岩盤を割ったんやわ。
 ところが、ある日岩のすき間に住んでたんか、一匹の大蛇が岩石とともに吹き飛んで宇陀川に落ちたんじゃ。人夫らは、何気なく、川に落ちた大蛇を見て驚いた。なんと、大蛇は、金のウロコをしてピカピカと光っておったそうな。工事の人たちは、そりゃもうびっくりしてしもた。
「金の大蛇や。いままで、一ぺんも見たことあらへんわ。」
「追い出したらバチがあるっていうけど大丈夫やろか。」
天と地がひっくり返ったほどの大騒ぎをしながら、こんなことをささやき合ったそうじゃ。
 でもな、落ちた大蛇はなんともなかったように水面で体をくねらせ、太陽の光で、金色にウロコを輝かせて泳ぎ、そしてな、向こう岸の草むらに姿を消してしもうた。それをじっと見つめていた人たちは、その日、一日中、気味悪がっておったそうじゃ。
 それから二、三日して、井上文内は急に熱病にかかってしもて、医者や家族の看病のかいもなく死んでしもた。熱病は文内だけではのうて、当時の作業人の多くも同じようにかかって、みんな苦しんでたんや。人々はのう、やっぱりあの大蛇のたたりやと思っておそれておった。
 不幸な出来事が続くと、人間は誰でも気になるもんや。それに悪い方へ悪い方へと結びつけていく。
「金のウロコの大蛇がわしらに天罰をあたえたんや。」
「そうや、それに違いない。」
「あれは不吉なことが起こる前ぶれやったんや。」
一人一人が、同じようなことを考え、ささやき合っていたそうや。
 ところがや、一時はどうなるか、さっぱりわからんで、夜もおちおち眠れんほど心配したが、そのうち熱病もなおってきた。人々は再び仕事に精を出し始めたんじゃ。作業は文内の子、文治郎が引き継いでな。工事を続け、その年の秋に道路改修工事ができた。今の国道筋の記念碑は、井上父子の功績をたたえたものじゃ。
話・安部田のお年寄り

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