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けさ切り地蔵(上小波田)



 岩崎家の武人は昔、上野の藤堂藩につかえておった。
 ある日のこと、伊賀神戸を通って上小波田の屋敷に帰る途中じゃった。藩の御用のため帰りが遅くなってな、日もとっぷり暮れておった。下神戸のあたりを通っておったころ、不気味な気配がしてな、まわりを見渡したんや。すると、不意に暗やみの中から何やらニューと目の前に現われた。武人は恐る恐る暗やみをのぞきこんで腰を抜かすほど驚いた。
「ば、化者め、こ、このわしを小波田岩崎と知ってのことか。」
それはもう、あのこわい者知らずの武人でもふるえるほどの鬼の顔をした大男だったんじゃ。
「小波田岩崎よ、こわいか。こわければ刀を捨て、とっとと立ち去れ。」
「何を!、この岩崎、そんなことでは、こわがらんわい。みそこなうな。」
大男は今にも飛びかからんばかりの勢いであったのやが、気の強い岩崎の武人は、腰の大刀を抜いてけさ切りに一刀をあびせたんじゃ。
 ところがや、大男の姿が見えなくなってな。そこには地蔵様がけさ切りにされていたんやわ。武人は地蔵様の首を切ってしまったのや。しかし、あたりを見わたしても首がどこにもなかったそうじゃ。あまりにも力強く切りつけたんでな。地蔵様の首は、伊勢神戸(現在の鈴鹿市神戸)まで飛んでしもうた。
 首を切られた地蔵様は、今も伊賀神戸の天道山のふもとの道筋に「岩崎石像」と表札が付けられて祭られ、見事なけさ切りになってますわ。
 上小波田ではこわいもの知らず。それも力持ちの武人が切ったから、首は遠くへ飛んだといわれたのでしょう。首は鈴鹿の寺にまつってあるそうですわ。もっとも、胴と合うかどうか、はっきりはしませんが…。
話・岩崎菊次郎さん(明治二十七年生まれ)

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