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猪早太の墓(箕曲中村)



 今から八百年ほどの昔の源平時代。源頼政が治承四年(一一八〇)、平家に反抗して兵を挙げようとしていたのを事前に知られて戦になったんじゃ。ところが、すさまじい平家軍の攻めに宇治川で頼政勢は敗れてしもうた。
 頼政は、一族とともに自害して果てる直前、家来の猪早太を呼びつけて、
「早太よ、この法華経は高倉宮公からいただいた大切なものじゃ。ぜひ奈良、東大寺に納めてもらいたい。」
猪早太の手に法華経三巻を渡したそうじゃ。早太は涙を払って、
「承知いたしました。命にかえても必ずお納めいたします。」
「頼むぞ。このまま奈良に行くのは危険だ。わしの領地の名張にいったん出てから奈良へ向かうがよい。」
頼政の命を受けた早太は、味方が立てこもっていた平等院をそっと抜け出して山づたいに名張までたどりついたんじゃが、ここで平家の兵隊に追いつかれてしもうたんや。襲いかかる敵を必死で切り払いながら逃げたんじゃ。しかし、切っても切っても次々に向かってくる敵に、とうとう力尽き、殺された。
 何も知らん村人は、あわれんで早太が体につけていた法華経を遺体と一緒に手厚く埋葬。供養のため十三重の立派な石塔を建てたんじゃ。
話・岩田昌充さん(明治三十二年生まれ)

●箕曲神社と福成就寺2008/4/22現在。携帯で撮影。


@箕曲神社/一の鳥居


A福成就寺/案内


B箕曲神社の鳥居を潜ってすぐ


C箕曲神社/入口


D箕曲神社/年中行事


E箕曲神社/祭神


F箕曲神社/清めの水


G箕曲神社/二の鳥居


H箕曲神社/拝殿


I箕曲神社/拝殿の額


J福成就寺/本堂(神社の隣り)


K福成就寺/忠魂碑


L福成就寺/十三重の石塔 ※本文の石塔か


M福成就寺/十三重の石塔の案内


N福成就寺/木造黒漆厨子の案内

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