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七堂伽藍の観音寺(中村)



 中村のほぼ中央に小字で観音寺というところがありますんやわ。それは昔、奈良の時代に「七堂伽藍」の大きなお寺があったのでな、歴史的にしるされてんのやわ。
 わしが田に用水路を引くために穴を掘っていたときや。ここから土器の破片や宋銭が出てきたんですわ。土器は、窯を作るまでのずいぶん古いもので、手でこさえたものを、地面に穴を掘ってマキで焼いたもんや。瓦の破片などは、「布目瓦」っていうてな、裏があみ目になってんのやわ。それでこの宋銭というものも、昔、宋の時代に、平清盛って言う人がいたやろ、この平清盛がな、宋と貿易をしたときに、宋から入ったもんやって聞いているわ。
 まあ、こんなもんが出てきたんで鎌倉時代に観音寺があったと思えるんや。
 南朝時代の勇士に、新田義貞の家来として活躍した中村八郎という、わしと同じ名前の人がおってな。この人も中村の出身なんや。
 中村は、昔、「古名張」と呼ばれ、名張の中心でな。街道は、中村を通っておった。今は変わったなあ。ブドウ畑が広がり住宅が建った。昔の様子はもうわからなくなった。そやけど、歴史を秘めた土地であるといっても過言ないですわ。
話・中村八郎さん(明治四十三年生まれ)

▽伽藍(がらん)=寺院の総称。つまり七つの堂を配した寺、の意味。
▽新田義貞(にったよしさだ)=鎌倉から南北朝時代の武将。鎌倉を攻略して北条氏を滅ぼし、建武中興政府に重用された。


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