村人の一人が尋ねたんや。するとじいさんは、
「二束でよいから、その稲をしゃごま(逆さ折り)に折って一対作り、片方の稲にご幣を、もう一方にお供えの品を乗せ、おおこ(天びん棒)でかついで川を渡してほしいのじゃが、どうかのう。鹿島からはるばるやって来た年寄りの頼みじゃ。」
村人たちは話し合って聞き入れることに決めた。じいさんを道案内、川向かいの積田神社に連れて行ったそうな。そしたらな着いたとたん、白髪のじいさんは、あっという間に神様になったかと思うと、次の瞬間「スッ」と消えてしまったんじゃ。
池に映った神様は、神社に住むようになった。それからというもの村人たちは、一ノ瀬川でとれる自然のアユとシロハエを供えましてんわ。そして神様は前の山を開墾して、栗の木をお植えになったんで、その実をおやつに差し上げましてんて。
神様がおこしになったとき、かきの木で作った一本の杖を持っていましてんわ。その杖を、山に向けて投げつけ、斜面に突き刺すと杖はかきの木になって根が地面に生えてな。根は伸び、木もぐんぐんと育ち見事なかきの実がなったということやわ。
お植えになった栗の木はもうありませんが、このかきの木は「神ガキ」と呼ばれ、積田神社の裏に今も残っておりますんや。それにここへ神様をお連れした人の家では、現在も祭礼のときに、神社の本殿にお供え物をするようにしているんや。カキ、栗、アユ、シロハエで、昔の習慣は残っていますんやわ。
寺田病院の裏の農道に「御座之地」といって、神様が最初に来てお座りになったといわれている所があるんやわ。
神様の姿が映っていた池はその日から「鏡池」と呼ばれるようになったわけですわ。この池は小さい池ですが、奈良の猿沢池とつながっていると伝えられていてな。水は減りも増えもしない不思議な池で、水の色も猿沢池とよく似てますんや。昔からこの池の周りには大蛇がすんでいると言われておりますわ。
話・坂本嘉蔵さん(明治四十一年生まれ)
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