back

熊坂長範(蔵持)



 もう遠い昔のこと、蔵持村原出で熊坂長範が生まれた。ほれ、あの大どろぼうじゃ。子供のころは太郎といって生まれつきとても器用な子どもだったんやわ。両親が早く死んで一人ぼっちになったある日のこと、もらわれていった親類の家の土蔵の前で泥遊びをしておったそうな。ふと、土蔵の方をみると、扉が半分あいてかぎがさしたままになっていたんや。きっと家の人たちが中で捜し物でもしておったんじゃろ。いたずら好きの太郎は


「ようし、このかぎを取って合いかぎを作ってやろう。おもしろそうじゃ。」
すきを見て、かぎをはずし、持ち出したんじゃ。大急ぎで田んぼまで行き、田の土でかぎの型をとってしまいおって、何くわぬ顔でかぎを元に戻しておいた。器用な太郎は、かぎの型の土に鉄を流し込んで、みごとな合かぎを作ってしもうたんじゃ。それからというもの、合かぎを使って親類の土蔵に忍び込み金目の物ばかりを持ち出しておった。そのうち、家の者たちがどうして土蔵のものが次々となくなるのか、それも金目の物ばかり、と不思議に思い始めてな。
「ようしこうなったら待ち伏せて盗人を捕まえてくれるわ。見つけたらどうなるか思い知らしたるわ。」
ものすごいけんまくだったんじゃよ。そして、今日か明日かと毎日、毎日目を光らせておったそうな。
 しばらくたって、太郎がいつものように自分が作った合かぎで土蔵をあけようとしたときとうとう捕まってしもうた。家の主人は太郎を見て、
「ムウ、お前は、子どものくせに盗っ人をするとは末恐ろしいやつじゃ。そんなことをするとは思わなかった。家への出入りは絶対ならん。とっとと出てゆけ!。」
太郎は
「かっ、かんべんしてくれー、かんべんしてくれー、もう二度としないから許してくれー。」
しきりにあやまり、たのんだけど、家のものは許してくれず、太郎は泣きながらとうとう家を出て行ったんやわ。
 太郎は蔵持村を出て美濃の国(岐阜県)に移り住んでどろぼうになり、何年かあとには「長範」と名乗って大あばれをしていたそうな。
 そう言うと悪人と思われるのじゃが、長範はそこらのどろぼうと違い金持ちやずるがしこい商人らから金や物を盗んで、貧しい人たちに分け与えていてな。憎めないどろぼうだったんじゃ。
 平安時代の末、牛若丸(義経)が京の三条の金売りの吉次という男をおともに、奥州(東北地方)に向かっていたとき、長範は一行の荷物を盗んでやろうとくわだてたんや。その夜、一行は美濃の赤坂の宿で泊まるようすなのでそっと後をつけ、夜がふけるのを待っておったそうや。あたりが闇につつまれ静まりかえったとき長範は、そっと牛若丸の部屋へ忍び込んだ。
「しめしめ…よく眠っておるわ。」
と、思った瞬間、運悪く見つかってしもた。めったなことではやられたことはなかったのに、相手が牛若丸とあってはな…。とうとう斬られてしまいおったんやわ。
 長範の生まれたところは、長範が田の土でかぎ型をとったということで『鍵田』と呼ばれておったが最近では『かわぎた』とか『こぎた』と呼ばれ、春日神社には今でも『伊州鍵田領主熊坂長範』と書かれたむな札があるそうじゃよ。
話 蔵持のお年寄り

 熊坂長範は、平安時代末の大盗賊です。しかし、実在したかどうかははっきりしません。出生などについては諸説がありますが、名張では、蔵持出身との説が伝わっています。

▽伊州=伊賀地方の旧国名
▽むな札=むねあげの時、工事の由緒などを書いてむな木に打付ける板。

●蔵持春日神社2008/3/4現在。携帯で撮影。


@蔵持春日神社/入り口全景


A蔵持春日神社/鳥居の左側


B蔵持春日神社/参道


C蔵持春日神社/祭神。参道右側


D蔵持春日神社/祭案内。参道左側


E蔵持春日神社/石造十三重塔。全景。参道突き当たり


F蔵持春日神社/石造十三重塔。案内


G蔵持春日神社/石造十三重塔。近景


H蔵持春日神社/拝殿。遠景


I蔵持春日神社/拝殿。近景


J蔵持春日神社/日露戦役出征軍人紀念。拝殿の左側

top

back