三百余年も前、ある身寄りのないお侍さんが、死んだ時のことを考えて、生きている間に「心松圭哲」と戒名をつけ、石に刻み、そしてその石を美しい水がわき、流れている所に建てたそうや。とむらってくれる人がいなくても、絶え間なくわき出ている水のほとりやったらよいと思たんやろうな。
石碑からわかるんやが、その人は延宝五年(一六七七)七月十二日に亡くなった。村人たちはつくられていた石碑にお参りするようになってな。三百年余りたった今でもだれとはなく続けているそうな。
ところがな、これと同じ字を刻んだ石碑が短野の墓地にもあるんや。気づいたのは十年ほど前やった。おそらく身寄りがなくて、死んだお侍さんのために墓地に埋葬、あらためて石碑を建てたようや。
話・萩森十一郎さん(大正十一年生まれ)
短野の墓地には大きな五輪の塔が建っています。大江貞基(清和天皇の皇子)の墓か、この地区へ逃げてきた落ち武者の墓とも伝えられています。
われわれに話をしてくれた萩森さんの家では大切におまつりしています。
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