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唐琴の里(八幡)
八幡の地は、昔「唐琴の里」または「賀羅坤土の里」といわれておりましたんやわ。神功皇后が三韓征伐の時に、手に入れて持ち帰った唐琴を「出雲国造」がご神体として、この八幡にまつったと伝えられています。
また一説には大和と伊賀の境の川中にある島で神女がどこからともなく現れて、唐琴をひいていたそうですわ。美しく鳴り響く音に誘われ、たくさんの人が集まって来て
「なんて美しい音色だ。高貴な婦人がひいているようやが…。」
人々はうっとりしながらささやき合っておったそうな。ところが神女は人々の姿を見ると、琴をひくのをやめ、琴を岩に捨てて、すっと姿を消してしもうたんや。
それ以来神女は二度と姿を現わさんかった。人々は残された唐琴を持って帰って八幡神社にまつったそうですわ。
話・畑中岩造さん(明治四十二年生まれ)
川口栄男さん(明治四十四年生まれ)
八幡さまの鎮守の森には鎮守神があって、これを畑中岩造さんが、ほこらを建て大切に祭っています。高さ五十センチ、幅二十二センチほどの小さな石碑があって、裏面に「鹿羅供加持石福地平七」。左の面に「元文(一七三九)正月吉日」とあり、かすかに読みとれます。
▽神功皇后(じんぐうこうごう)=三韓征伐の物語の中心人物で仲哀天皇の皇后。
▽三韓征伐(さんかんせいばつ)=三韓(みつのからくに)は、「高句麗」「百済」「新羅」の古代朝鮮。
▽出雲国造(いずものくにのみやっこ)=出雲地方の豪族で、政治、祭祀に力を持ち、大和地方にも勢力を伸ばしていた。
●八幡神社2008/3/17現在。
携帯で撮影。
@八幡神社/参道入り口の石碑。八幡正八幡宮。昭和四十四年造営
A八幡神社/石碑から数十メートル歩くと階段があります
B八幡神社/階段の下から。鳥居が見えます
C八幡神社/階段を上るとさらに階段が
D八幡神社/清めの水と二の鳥居。参道は左に曲がります
E八幡神社/二の鳥居をくぐると三の鳥居が見えます
F八幡神社/三の鳥居と拝殿
G八幡神社/由緒?残念ながら、かすれて読めません。
H八幡神社/拝殿。遠景
I八幡神社/拝殿。額。正八幡宮八王子
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