back

錦の機殿(錦生)



 今はもう大昔のことじゃ。天照大神はもともと皇居のなかに祭られておった。しかし、第十代崇神天皇は、娘の豊鍬入姫に大神を大和の笠縫村へ移させた。そして、第十一代垂仁天皇が、再び笠縫村から移すことを考え、娘の倭姫命に
「大神の鎮座に適するところをさがせ。」
と命令。倭姫命は大神のご神体である鏡を奉じてな、笠縫村を出発。宇陀から名張にやってきたんじゃと。
 名張の市守宮ていうところに大神を二年間一時鎮座して、機殿を建ててな。そこにいる間は大神の錦の衣を織ったそうな。錦の織物をつくる機殿があったところからな、ここを錦生(安部田)というようになったそうな。
 大神を二年間鎮座させた市守宮は、今の蛭子神社やといわれてるけど、ほかに宇流富志弥神社とか積田神社との説もあってな、はっきりせんのやわ。
 それから後、上野の上神戸の穴穂宮(神戸神社)で四年間と柘植の都美恵宮で二年間、それぞれ一時鎮座したあとな、近江、美濃を巡行して伊勢に入った。やがては五十鈴川のほとりに大神を遷座したんやわ。奈良・桜井の三輪山の北のほうにある桧原神社は「元伊勢」といってな、笠縫村の跡やって伝えられてるそうじゃ。
話・錦生のお年寄り

▽天照大神(あまてらすおおみかみ)
▽豊鍬入姫(とよすきいりひめ)
▽倭姫命(やまとひめのみこと)
▽市守宮(いちきのみや)
▽蛭子神社(えびすじんじゃ)
▽穴穂宮(あなほのみや)
▽都美恵宮(つみえのみや)
▽崇神天皇(すじんてんのう)
▽垂仁天皇(すいにんてんのう)
▽宇流富志弥神社(うるふしねじんじゃ)
▽桧原神社(ひばらじんじゃ)



●蛭子神社2008/3/6現在。携帯で撮影。


@蛭子神社/正面鳥居


A蛭子神社/入り口左側


B蛭子神社/入り口右側


C蛭子神社/拝殿を望む


D蛭子神社/拝殿全景


E蛭子神社/拝殿


F鳥居(正面より左側の柱の裏)


G鳥居(正面より右側の柱の裏)


H蛭子神社/祭神


I蛭子神社/右側より撮影


J蛭子神社/左側より撮影


K蛭子神社/正面鳥居

top
●宇流富志弥神社2008/3/18現在。携帯で撮影。


@宇流富志弥神社/正面鳥居


A宇流富志弥神社/案内1


B宇流富志弥神社/案内2


C宇流富志弥神社/鳥居から拝殿を望む


D宇流富志弥神社/清めの水


E宇流富志弥神社/御祭神


F宇流富志弥神社/鹿の彫像。境内右


G宇流富志弥神社/拝殿遠景


H宇流富志弥神社/境内右


I宇流富志弥神社/境内左


J宇流富志弥神社/拝殿の額


K宇流富志弥神社/境内左の建物。施主大阪備前屋


L宇流富志弥神社/境内左奥


M宇流富志弥神社/境内左奥。右の灯篭。


N宇流富志弥神社/境内左手前1


O宇流富志弥神社/境内左手前2


P宇流富志弥神社/境内左手前3。多賀大社遥拝


Q境内左手前4。八坂神社、市杵宮神社


R宇流富志弥神社/境内左手前5。稲荷神社、護国神社


S宇流富志弥神社/境内左手前6。白?明神、愛宕神社


21.宇流富志弥神社/境内左手前7。神武天皇遥拝、三輪明神

●宇流富志弥神社2008/5/1現在。携帯で撮影。


@宇流富志弥神社/一の鳥居1


A宇流富志弥神社/一の鳥居2


B宇流富志弥神社/一の鳥居3

top
●積田神社と鏡池社2008/2/29現在。携帯で撮影。


@積田神社/入口左側


A積田神社/入口左側の案内図


B積田神社/入口左側の由緒


C積田神社/入口


D積田神社/参道の左側に…


E積田神社/参道


F鏡池社/参道途中の左側にあります


G鏡池社/奥の鳥居


H鏡池社/由緒(鳥居の左側)


I積田神社/拝殿手前の鳥居(右から撮影)


J積田神社/拝殿手前の鳥居(左から撮影)


K積田神社/拝殿


L積田神社/御大典記念の鹿の像(参道途中の左側)


M積田神社/巨大な石灯籠(参道途中の左側)

top

back