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大谷のヒヒ退治(黒田)



 昔々、剣豪で名高い由井正雪が旅をしていたときやった。黒田を通りかかると道端で村の人たちが集まって、何やら相談しとったそうな。
「いったいどうしたのじゃ。」
「お侍さん、えらいことですのや。この向こうの大谷という山に住んでいる大きなヒヒが、村の娘をつれてくるようにいっていますのや。」
「この前は与作はんの娘がつれていかれたままやしのう。」
「わしの娘は、もう食い殺されてしもうたかもわからへん。」
「ウーム。まことに気の毒なことじゃ。よし、わしがその大谷のヒヒとやらを退治してやろうぞ。」
正雪は、心配そうにしている村人たちを見回して自信たっぷりに言いましてんわ。
「と、とんでもないお侍さん。大谷のヒヒは、人間を食べる恐ろしい怪物やさかいに、行ったら殺されてしまいますがな。」
「いいや、このわしが必ず退治してやろう。村の衆はここで待っているだけでいいのじゃ。」
村人が引き止めたのに正雪は、聞き入れずヒヒ退治に出かけていきました。
 大谷は黒田の山すそから、名張川沿いにしばらく行った所の深い谷間や。そそり立った岩が並んでいて少しもお日さんが当たらない気味の悪い所やったが、正雪は勇敢に進んでいきましたわ。ヒヒはどこからおそいかかるか知れへんので、刀をぬいてゆだんなく身がまえながら洞穴の前まで来たときや。うしろの岩の上から黒い大きなものがおそいかかってきてな。正雪は間一髪、身をかわしてんけど、その黒い大きなものは、ランランと光った鋭い目やキバ、それにツメを持っていて、これこそ村人たちがいってたあのヒヒに違いないと思ったそうや。ヒヒは、刀でも切れんほどすごい毛皮におおわれとった。でも正雪はさすが剣の達人。切れる急所を見つけたんや。
「娘を食べる怪物め、退治してくれる。」
と叫んだとたん、正雪は、目にも止まらん速さで刀を横に払って鋭い音をたてヒヒの首を空高く飛ばしてしもうたそうや。すぐさま返す刀でヒヒの足を切り、足も空中へ飛び上がってしもたわ。首と足を切られたヒヒは、その場へ倒れてて二度とおきあがってこれやんかったそうや。
 大谷のヒヒを退治した正雪が、村人たちの待つ村へもどると、
「お侍さん、ありがとうございます。これで安心して暮らせます。」
口々にお礼をいうたそうや。その晩は村内で、飲めや、食えやの大宴会をもよおして正雪をもてなしてなあ。翌朝、正雪は村人たちに見送られて、黒田を立ち去ってったそうやわ。
 正雪が切ったヒヒの足は、長屋(今の相楽)の入り口の小橋におちたんやけどそれ以来、その橋は「猿橋」と呼ばれるようになって、いつのまにか「去る橋」にかわってしもた。嫁入りの花嫁がこの橋をわたることは、よくないとされいまでも猿橋を通らず、安部田の高橋を渡るか、青蓮寺の方をわざわざ遠まわりする花嫁の自動車があるそうやわ。
話・山口正男さん(大正六年生まれ)
森嶋行雄さん(大正十一年生まれ)

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