百地屋敷跡の裏庭に「おかんの井戸」と呼ばれる井戸があってな。昔、三太夫の弟子だった石川五右衛門が三太夫の留守中、部屋に忍び込んで忍者の巻物を盗もうとした。そやけど、三太夫の女中の「おかん」に見つかってしもうたんや。
「留守中に何の真似をしておられます。」
「へい、ここで忍びの練習を。」
五右衛門は、その場をうまくごまかしたけど、忍者のおきてはきびしゅうて。このことが三太夫の耳に入れば殺されると心配したんや。そこで、事故に見せかけておかんを殺すことを考えたんやなあ。
そんなある日のこと、おかんが井戸水をくんでおったとき、五右衛門はいい機会とばかり、後ろにそっと忍び寄ってな、おかんが井戸に体を乗りだしたとたん、とっさに抱え上げて、投げ込んでしもうたんやわ。可愛そうにおかんは死んでしまったそうじゃ。
こういうことからこの井戸は、「おかんの井戸」と呼ばれるようになったんやわ。それ以来不思議なことに水がわかなくなってしもた。今では大きな石でふたをしているがのう。
百地屋敷は二十年ほど前に新しくなっているけど、内のからくりなどは、昔のままや。四百年ほど前の戦国時代に織田の軍勢が攻めてきたとき忍者たちは、忍術でさんざんいためつけたそうやけど、当時、三太夫が使っていた忍者の装束や道具もたくさん保存していますがのう。
この屋敷の南西の方にある高い山を「城山」といって、百地氏のおった城跡が残ってるし、竜口の里から赤目滝への細い山道は「落し道」といわれて忍者が修行に通った道だったそうですわ。
話・百地しげさん(明治三十年生まれ)
▽百地三太夫(ももちさんだゆう)=実在したかどうか不明。上野市喰代に住み、活動をしたとの説もある。
▽上忍=忍者の位の一つ。「上忍」「下忍」があったとされている。
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