back

伊勢講(神屋)



 天文年間というから、もう三百五十余年も前じゃろ。お宮を移す「伊勢神宮式年遷宮」のきまりが出来、都の貧しい公家や貴族たちがお参りしたのがいつしか庶民の間にも広がり、「講」の名での人の集まりになったそうな。
 江戸時代の中ごろからは、全国的に盛んになってな。一生に一度は伊勢参りをしなければならないという風潮になったそうや。今とちごて、昔の人たちは自然の恵みは神から授かるもんと考えられとってな、天災から守ってもらうため祈ったものじゃ。
 この村でも昔から伊勢講というのがあってのう。年に六度ほど、その月の十六日に集まって、酒、煮物、野菜、赤飯などを自分らで持ち寄り、日の暮れるまで、それはそれは楽しく過ごしたそうじゃ。ところがな、「山神講」「大師講」「たねつけ講」などほかの集まりもいろいろあって、それらの祭りごともやらなあかんので、今では春と秋の二回になってしもうたんや。講員数は、引退したり、新しく入る人たちがいて、年によってちがうんじゃ。
 昔は「講田」というものがあってのう。この土地でとれた農作物を売って貯金し、二、三年ごとにお伊勢参りをしていたそうじゃ。今では、
お伊勢参りは信仰心というより旅行気分で出かける人のほうが多いようじゃが、これも時代の流れというもんかのう。これは、名張のある地方だけかどうかはわからんが二人連れでお伊勢参りするのは、ようないと昔から言われていたそうや。なんでも天照大神が仲の良い二人にヤキモチ、仲を裂くからと言われているそうじゃ。
話・井上耕一さん(明治四十年生まれ)

top

back