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お城山(南古山)



 蓮福寺の東の山は昔から「お城山」と呼ばれていてな。明治の末ごろは木が一本もないほどのはげ山だった。てっぺんからの見晴らしはとてもようて、ふもとの県道を通る兵隊さんの姿がながめられたものじゃ。それに冬になると「アカッチョ」がおもしろいほど捕れた。アカッチョ?。このへんではスズメのことをこう呼ぶんじゃよ。
 いまは木が生い茂って、昔のおもかげはなくなってしもうた。山は呼び名の通りお城のあった跡でな。お殿さんが住んでいたそうな。東から西にかけて深い堀があり、高い土塁はまだ残っていてな。
 城跡の東南の方にあって、畑になっている平らな土地はそのころ山の斜面だったそうな。
 南古山あたりの豪族は、高田氏、松岡氏、井上氏らがいたそうじゃ。でも“とりで”はどこにあったかは、わからん。お城山の北側の山には天正伊賀の乱で勇敢に戦った高田氏の“とりで”があったそうじゃが、お城山にも豪族がたてこもって戦ったんだろうな。
 この地区の南の方に「経塚山」というのがあってな、昔、その山のてっぺんに宝物が埋まっているという話が伝わったことがあった。そうなるとだれもじっとはしておれん。いつの世でもある“宝さがし”騒動が起きた。われ先にてっぺんを掘り起こしたそうじゃが、何ひとつ出てはこなかった。「骨折り損のくたびれもうけ」とはこのこった。
話・山森留蔵さん(明治二十九年生まれ)

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