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道観長者(一ノ井・香落峡)



 今から八百年ほど昔、赤目町一ノ井に伊賀の国で一番の大金持ち「道観長者」が豪壮な館を構えて住んでいた。九つの郷を治め、農民を虫けらのように働かせ、自分は酒と女におぼれ、それはたいへんな乱れようだった。
 長者には三男一女があったが、長男の「左門」と二男の「梅若」は病死。奥方の「小満」は体がくさる病気にかかってしまった。このため一族は村外追放を御上から命ぜられ、人里離れた香落峡の八幡山のふもとに移り住み「八幡長者」と呼ばれるようになった。
 三男の「小太郎」はその頃十三歳。母の病気を治すために「熊野権現」や「伊勢若宮八幡」へ月参りを続け、長者もそのうち過去を深く反省するようになった。
 そしてある日、長者は自分の財産を世のために使おうと決心。まず、島ヶ原の広国寺を再建、正月堂と名づけ、平家に焼かれた奈良・東大寺の復興に努めた。この頃、若狭の「南無観長者」と出合い、意気投合。二月堂を再建し、開基の「実忠(じっちゅう)上人」にならってその檀家に入り
「わが私有地を二月堂に寄進し、松明を毎年二月堂の修二会(しゅにえ)に納めるのだ」
の遺言を残し、入寂(僧が死ぬこと)してしまった。
 残された小太郎らが寂しく暮らしていたある日、盗っ人の「お竜」が財宝目当てに忍び込み、小満や姉の「時姫」らを次々に殺してしまい、なお、小太郎に迫った。
「欲しがっている宝物はあの高い岩山に埋めてあります。案内しましょう。」
小太郎は逆にお竜をだまし、目もくらむ断崖絶壁の山に連れていった。欲に目がくらんで、財宝のことばかりを考えていたお竜を突き落とし、母や姉ら家族のかたきを討った。その岩山は「小太郎の賊落とし」と呼ばれ、いつしか「小太郎落とし」に変わった。
 小太郎はその後、一族をとむらうために岩山にお経を埋め、奈良へ出て「聖玄」という立派なお坊さんになったと伝えられている。奈良のお水とりの時、一ノ井では松明を作り、二月堂に奉納しているが、これは道観長者の遺言で始められたと言われている。
「伊賀一ノ井の松明送りと伝説」から


●極楽寺2008/8/11現在。携帯で撮影。名張市赤目町一ノ井412


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